【8年目】栗山監督は、何故選手の信頼を勝ち得るのか?
2012年から、日本ハムファイターズの監督に就任して、今シーズンで8年目。
戦力の入れ替わりの激しい、日本ハムを仮にもパリーグのAクラス常連に留めている栗山英樹監督。
日本ハムファイターズの新球場計画の進む、北広島市にほど近い、栗山町に自宅を構え、野球の普及にも積極な彼の人柄を、自分なりに掘り下げてみた。
俺が悪いという言葉
栗山監督がメディアの前で口にする言葉が「俺が悪い」とか、「監督が悪い」と言った、自虐的な言葉だ。
賛否両論はあるだろうが、個人的にメディアの前で基本的に選手批判をしないのは、素晴らしい事だと思う。
監督という立場である以上、メディアの前で一度選手のエラーやミスに言及すれば、その言葉はすぐさまインターネットや各種メディアを通じて発信される事になる。
そうして、大々的に報道をされれば、それを見た選手は、それがまるで世間の意見の様に見えてしまうだろう。
敵も味方もプロ野球選手
日本ハムファイターズの選手の中に、適当な気持ちで試合にでている選手はいない。
野手も、投手もその日のベストを尽くそうと試合に望んでいる。
しかし、スポーツを経験した人間にはわかると思うが、どんなに強い気持ちを持って試合に臨んだとしても、必ずいい結果がついてくる訳ではない。
試合相手もまたプロ野球選手であり、勝ちを取りに来るのだから、勝負は常にイーブンなのだ。
栗山監督の良い所を語る際に、選手とのコミュニケーションを始めとする、彼のメンタルコントロールが話題に上る事があるが、「俺が悪い」という言葉にこそ、彼と選手を繋ぐ信頼関係の根底があると考えている。
自分を選手に置き換えて考えて見てほしい。
日々の練習に打ち込み、一軍の座を手にして、全力で試合に臨んだものの、力及ばず負けてしまった時。
メディアの前で、お前のせいで負けたのだと語る指揮官についていきたいと、心の底から思えるだろうか?
自分のせいで負けたのだと、そう感じているのは誰よりもその選手自身なのだ。
栗山監督は、勝敗の責任を選手に求めることをしない。
チームの勝敗に関する責任は、監督にあると考えているからこその発言なのだろう。
選手ファーストの発言
栗山監督が、メディアの前で選手の批判をする事は殆どない。
選手に関して厳しい発言をする時は、決まってその選手が結果を残した時、調子が上向いている時だ。
そこには、これで満足して欲しくない、もっともっとプロ野球選手として成長して欲しいという監督の熱意、そして選手への愛情があるのだと思う。
言われる側の選手にしても、落ち込んでいる時に厳しい言葉をかけられるより、調子よく、気分が上がり調子の時の方が、素直に指摘を受け入れられるのではないだろうか。
監督の仕事とは何か?
監督という仕事は、一般社会で言うところの管理職に相当する仕事だと考えている。
では管理職として求められるスキルとは?
- それは、部下との信頼関係の構築。
- 適切な指導、そして仕事を与える事。
- 何よりも、自分自身が部下の責任を取る事。
栗山監督の発言の1つ1つは、その仕事を忠実に遂行しようという行動の表れなのではないだろうか?
- 決して、勝敗の責任を選手に転換せず。
- 更に伸ばすために、指導を行い。
- 積極的に、若手にもチャンスを与えていく。
私から見て、栗山監督は理想的な上司に映る。
勿論、采配には賛否両論があるだろうが、彼がファイターズを率いる間は彼のやり方を応援したい。